あの五輪開会式は凄かった!評論家・玉木正之さんが選ぶ『聖火台点火の名シーン・ベスト3』

 ギリシャのオリンピア遺跡で太陽の光を使って火を起こす「聖火」。時には万里の長城を登ったり、カーリングやボートで運ばれたり。開催地までつなぐ聖火リレーが行われます。

 1964年の東京オリンピックの聖火リレーでは、名古屋城や愛知県庁前などをランナーが走りました。ところで、オリンピックにいつから聖火が導入されて、なぜリレーが始まったのかご存知でしょうか。

 オリンピックの歴史や文化に詳しいスポーツ文化評論家・玉木正之さん(67)に伺うと…。

玉木さん:

「五輪に聖火が初めて出てきたのは1928年のアムステルダム五輪です。ただ古代オリンピックと呼ばれているギリシャで行われた時は、すでに聖火を燃やしていたんですよ」

 古代オリンピックで使われていた聖火が、日本人が初めて金メダルを獲得した1928年のアムステルダム五輪で復活。その一方で、聖火リレー誕生を巡っては暗い歴史があったと言われています。

玉木さん:

「(聖火リレーを)ドイツのスポーツ学者のカール・ディームという人がやろうと言いだしたんですが、これにヒトラーがすごく喜んだ。東ヨーロッパの道路を全部偵察できるというわけですね。ですから聖火リレーした道をオリンピックが終わった後にドイツが攻めていって第二次世界大戦が始まったという、負の歴史も含んでいるんです」

 時代を経て様々な変化を遂げたオリンピックと聖火。さらに…。

玉木さん:

「演出は初めはただたんに火を燃やしただけで、それがリレーに変わって、それをどんな風に(聖火台に)つけようかとなり、開会式の演出の1つとして注目されるようになりました」

 前回のリオデジャネイロオリンピックの開会式では、点火された聖火台が動き出し球体となって、まるで太陽を彷彿とさせたド派手な演出でした。そこで、過去の開会式での点火の名シーンを玉木さんに選んでもらいました。

 まずは、“神業”が話題となった1992年のバルセロナオリンピック。

玉木さん:

「バルセロナ五輪ですね。アーチェリーの選手が出てきて先に火がついている矢を飛ばして火をつけた、これは画期的な驚きで素晴らしいと思いました」

 次は、有森裕子選手が感動の銅メダルを獲得した1996年のアトランタオリンピックの開会式。

玉木さん:

「モハメド・アリが突然出てきた時は本当に驚きでしたね。手が震えていますね、パーキンソン病で。蝶のように舞い蜂のように刺すというフットワークを知っている、素晴らしいボクサーとして知っている人間としては、この震える体を見ただけで本当にショッキングでした。おまけにここはアトランタですから、黒人差別が一番きつかった街ですから。そこで最終聖火点火者に選ばれた、選んだアメリカもすごいですね」

 そして、最後は1964年の東京オリンピック。聖火リレーの最終走者の男性こそが、前回の東京オリンピックの象徴そのものでした。

玉木さん:

「広島市に生まれた坂井義則さん。この方は8月6日の原爆が広島に落ちた30分後に広島市で生まれた人でした。そういう人が最終ランナーになると。五輪の反戦の精神を世界に訴えることができたと思います」

 さらに、前回の東京オリンピックの聖火リレーを巡ってはこんな話も…。

玉木さん:

「(聖火リレーも)ギリシャから始まってレバノンやテヘラン、ラホール(パキスタン)、ニューデリー、香港、マニラ、沖縄とずっとアジアを通って、日本が第二次大戦で迷惑をかけた国を全部通ったんです。そこで『お詫び行脚の聖火リレー』ともいわれたんですが、それを歓迎されたということで日本の戦後は始まる。そのくらい日本は恨まれていたんですね、第二次大戦では。それが払しょくされた聖火リレー。沖縄に聖火が届いた時、このときはアメリカの占領下の沖縄で、そこで日の丸を振って君が代を歌ったのは戦後初めての出来事で、沖縄の人たちがいずれは日本に帰るぞ、復帰できるぞと強く思ったのが聖火リレーだといえます」

 2020年の東京オリンピックでは「復興五輪」とされ、玉木さんも聖火リレーのルートに注目しています。

玉木さん:

「今回はアテネから宮城の自衛隊の基地に聖火が来ると、そこから福島から聖火リレーが始まる。震災復興の象徴としての聖火リレーというものには注目したいと思いますね」

 最後にこんなことを聞いてみました。

Q.聖火リレーは、どんな人に走ってほしいですか?

玉木さん:

「近所の人、特別の人ではなく近所の人!だからどんな人でも走っていいから、一人でも多くの人が走れるようになってほしい。最終ランナーも一般的な人にしてほしいですね。令和からその先の時代を担う子供たちが最終ランナーになるのがいいと思います」