実りの秋よ、いつまでも。熊本地震で被災した米農家・嶋田一徳さんの挑戦と、最期の日々<前編>

FNSドキュメンタリー大賞2019

カテゴリ:国内

2016年4月に発生した熊本地震。

被災して多くの農機具を失い、自宅が半壊した米農家・嶋田一徳さんは、諦めることなく米作りを続けた。余命宣告を受けた病と戦いながら。

前編では、地震後の嶋田さんの取り組み、家族との交流、心の葛藤…。嶋田さん、最期の日々に密着した。

【後編】実りの秋よ、いつまでも。熊本地震で被災、ガンに侵された米農家・嶋田一徳さんが迎えた最期

  

地震で自宅は半壊、農機具もつぶれて無残な姿に

2016年5月。
米農家の嶋田一徳さん(69)は、鯉のぼりを見上げながら話していた。

「5月に入ってから立てたんです。鯉のぼりぐらい立てないと、被災が被災なので、子どものためにもと思って。子どもがこいのぼりを見て笑顔になって喜ばないかなと思って立てたんですよ。何もならないかもしれないと思いながらも、気分だけでも」

2016年4月、熊本地震が発生した。

嶋田さんが住む益城町では、最大震度7を2度観測。
熊本県の被害は、死者270人、住宅全壊8657棟にのぼる。

「この中に機械が全部入っているんです。それが全滅。小屋よりも機械のほうが被害金額が高い。籾摺り機、乾燥機も入ってる。どうにもならんです。見る限りに無残ですね…」

熊本地震で、嶋田さんの家は半壊した。

嶋田さんは、妻と長男の妻、孫3人と同居している。妻の誠子さんは言う。

「孫と子どもは違いますね。孫はかわいがればいいですから。子どもはそういうわけにはいかない」

続いて嶋田さんが、自らの半生を振り返る。

「我が子とは一緒に遊ぶ時間がなかった。若いころは、電気関係の卸しに行っていた。時間を見つけては米を作って、2足のわらじ。農家は私の親父がずっとしていたので、親父が仕事を定年してから私がするようになった。そこからはずっと私が続けています」

嶋田家は代々続く米農家だ。青々と育った米の苗を見つめる嶋田さん。
水路の損傷、田んぼの地割れ、農機具の破損などで、多くの農家がこの年は作付けを断念していた。

諦めずに田植えを。嶋田さんの焦りと強い思い

2016年6月。

借り物の機械で、地震後初の田植えを行った。
サラリーマンの長男・康徳さんが機械を動かす。

嶋田さんは、その田植えの様子を見ながら口を開いた。

「一昨年、大腸がんが見つかった。それから体調があまりよくない。昨年の6月に医師から『このままならあと1年。薬を飲んで、余命2年か2年半でしょう』と。一昨年手術をして、その1年後に余命宣告を受けた。あと2年くらい足りないかなと思った。息子は地震があったから、今年から加勢して農作業をしたけれど、本来なら2〜3年は農作業をさせないと米作りは覚えられない。その時間がほしい。俺の命の時間より。できるならあと3年は生きたいと思う」

サラリーマンの長男・康徳さんはこう話す。

「『おまえは跡取りだからやらなきゃいけない』と小さい時からずっと言われていました。物心ついたときからそう言われてきたから、しなくちゃいけないというのは分かっていた。昨年ぐらいから、自分で一通りしなくちゃいけないなと。父もいつできなくなるか分からないので。今年は自分で全部やって、分からないことは聞いて教えてもらったりして。全部自分でやるというのは、何をするにも大変だなと改めて思いました」

地震で壊れた農作業用の機械を前に、嶋田さんは決意を新たにしていた。

「また自分の機械を持ちたい。20年農業を続ける約束ができれば、国から補助が出る。だから跡継ぎがいないところは困っている。20年できない…と。だけど、たまたまうちは息子が20年はできるから補助が出ると思う。なかなか元通りにするには時間がかかる。目処は立つが時間がない。時間との戦い」

嶋田さんは地区の区長も務めている。月に数回、広報誌を配布するなど地域のために働く。

「普通だったら絶対きついと思いますよ。普段、誰かが来るとか区長の仕事のとき以外は家でほとんど寝ている。きついのはきついと思うんですけどね。昔の人はみんなそうなんですかね」(長男・康徳さん)

妻の誠子さんもこう話す。

「頑固ですよね。自分のしたいことは絶対通すみたいなところがあるから。それはそれでもう納得してる。変えられないでしょ。今までやってたんだから。目標みたいなものがあるのとないのでは全然違うから。間近に目標をもって、それを頑張る。それはもう薬よりも何倍も効き目があるというのは主治医の先生がおっしゃいますもんね。生きたいという気持ちが一番。何でもそれが一番だからと言われます」

何とかお米を収穫。今年も米作りが途切れずに済んだ

田んぼで、着実に成長する穂を手に取る嶋田さん。

「毎年同じことをしても、米の出来が毎年違うんですね。お米は生き物。見た目は変わらないが、同じ品種でも自分で育てたものには愛着がある」

2016年10月、借り物のコンバインで米の収穫だ。

「どこの親父でも言うけど、やっぱり作業をさせないと何回言っても分からない。実際にさせて、自分で機械を握らせないと。現地を見てようやく『言っていたのはこういうことか』と覚えていくと思う。若い頃は大抵そういうものだ。我々もそうだったけど」

長男・康徳さんは単身赴任中。農作業があるたびに、熊本と佐賀を行き来する生活を送っている。

「今後は手伝いじゃなくなる。自分がやらなきゃいけないですね。そこを逃して覚えられなかったら、また次1年後ってなっちゃうんで。そこがやっぱり難しいですよね。普通の仕事だったら毎日毎日繰り返して覚えればいいんだけど。米作りはその年で1回しかできないことばかりだから、覚えるのが大変」

ピカピカの新米が並ぶ嶋田さん宅の食卓。もちろん長男・康徳さんと嶋田さんで作り上げた米だ。
子どもたちは「おいしかったです!」との声を上げていた。

「考えてみれば、生まれて初めて米を作れない年になるところだった。百姓に生まれて、たった1年でも米が作れないと残念だと思う。どうにかこうにか作れるように作業をしてみんなで頑張ったから。その甲斐あって米作りが途切れずに済んだ。また来年は同じ工程で、また米作りが始まる。これの繰り返し。誰しも同じじゃないし、同じように繰り返しても、思うようになかなかできない。何十年と米作りをしてきて、最高によくできたと思ったことはない。やっぱり相手が生き物だからかもしれないが」

地震の被害に遭い、そして病と闘いながらも、この年もなんとか米を作り上げることができた。
後編では、翌年2017年以降の嶋田さんを追った。


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