「教員の残業代は一律4%」 増え続ける仕事と、変わらない給料のワケ

FNSドキュメンタリー大賞2019

カテゴリ:暮らし

かつて「聖職」と呼ばれ、地域の文化人、教養人として一目置かれる存在だった教員。しかし、社会の変化に伴い、いつの間にか地域での教員の地位は低下した一方で、過労死や自殺する教員が増えた。

文科省によると過労死ラインを越えて働く中学校教員は約6割。心の病を患い休職している教員は全国で5000人を超えている。

働き方改革が叫ばれるなか、半世紀前の『給特法』という法律がもたらした教員たちの悲鳴が、全国の現場から上がっている。

前編ではこの『給特法』が作られた背景を追う。

(後編:年間5000人の教員が心の病で休職。その裏に改革できない“働き方”

 

6割が過労死ラインを超え、5000人が心の病で休職

2018年9月、文部科学省は教員の労働に関する実態調査を公表した。

中学校では実に6割近くが、1月の超過勤務が過労死ラインと言われる、80時間を超えていたのだ。また、精神疾患で休職中の教員が、2000年に入り急増し、2007年から毎年5000人前後の教員が精神疾患を理由に休職しているという。

また教員採用試験の倍率を見ても、中学校の教員は、この20年間で1/3に下がり、小学校の教員の倍率は、1/4にまで落ち込んでいる。

教員が“ブラック”な職業だと知れ渡り、学生が避けているのが原因の一つだ。

Twitter上では、今匿名の現職教員の本音が溢れている。
学校の実態、多忙な業務への嘆きが毎日アップされ続けている。

その中で注目されている投稿者の一人が、斉藤ひでみさんだ。

斉藤さんは教員の働き方についての疑問を、発信し続けてきた。その中で『給特法』について問題提起している。この『給特法』という法律は、教員の職務の特殊性という理由で、毎月手当として基本給の4%を払う代わりに、時間外手当は支給しないというものだ。

時間外手当が出ない理不尽さ。法改正を求めるため、公立の学校の先生に署名を募ったところ、約3万2千の署名が集まった。

「覚悟は必要でしたね。『残業代くれ』みたいな話ですからね。もしかしたら世の中から叩かれるかもしれないし。だから『給特法』問題については、それこそ矢面に立つ覚悟でいます。“現場の人間”として僕がやろうと思ったんですね。これはやっぱり現場の人間が言わないと、全く意味がないなと思って」

そう話した斉藤さんが、集めた署名を携え向かったのは、文部科学省だ。

「私は現職教員です。学校に勤めて6年間、毎年のように心の病で倒れる同僚を見てきました。給特法というものは50年前に制定されました。それがどのような結果をもたらしたのか。どの業種よりも酷い時間外業務が発生しています。学校はブラックだということが認知されてきました。教員志望者は減る一方です。現状とかけ離れた給特法はすぐにでも抜本的に改正して頂きたいと考えます」

給特法が産まれた背景

斉藤さんが抜本的な改正を訴えた『給特法』。
正式な名称は、『公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法』と言い、今から48年前の昭和46年に制定されたものだ。

小学校の教員から政治家になり、日教組のドンと呼ばれた輿石東氏は、当時をこう振り返る。
「1960年代は、日本はようやく経済成長し始めた、元気になり始めた時代だった。この時代にもかかわらず、教員には12時間も13時間も働いても1円も出してくれない。超勤手当くらい払ってもらいたい。それがあちこちで訴訟として起きたのが超勤訴訟だった」

超勤訴訟が相次いだこの当時、教員の時間外労働は1ヶ月平均8時間ほどだった。
そこで自民党が、「8時間の時間外に相当する基本給の4%分を教職調整額として、月額給与に上乗せする」「ただし教員はあくまで聖職者という観点から、残業手当という考えはとらない」という法案が出したのだ。
これが給特法だった。

この給特法を作ったメンバーを撮った一枚の写真がある。
若き日の森喜朗氏や小渕恵三氏、海部俊樹氏ら、後に総理大臣にまで上り詰める議員が、田中角栄氏を囲んでいる。
自民党の文教族と呼ばれたグループだ。

1960年代から70年代にかけ、日本は安保闘争などで騒然とした時代だった。
自民党内部には、「教育の現場を何とかしないとこの国の将来が危うい」という声が噴出していく。そこで優秀な若手議員が、文教委員会に集められ、彼らが中心となってこの給特法を作ったのだった。

「ストライキをね、どんどんやって…」

給特法に最後まで反対した、元広島県教職員組合の横田秀明さんが、当時の教員たちの感じていたことを語ってくれた。

「最初のころはね、『毒まんじゅうじゃ』と言っていたんですよね。要するに『無定量の超勤が、それで課せられるんじゃないか』という中での反対が多かったんですよね」

しかし、日教組内の意見はあることをきっかけに変わっていったと言う。

「『超勤を強制的には行わせないよ』ということを、文部省との交渉の中で取れたから、つまり『毒まんじゅうの毒がなくなったから、食べていいよ』と言ったんですね」

悪くなかった4%上乗せ。しかし時代が変わり…

そもそも当時、給与の4%分上乗せるという事は、教員にとって悪い条件では無かった。加えて、強制的に残業はさせないという確約が取れたため、日教組内でも給特法を受け入れる流れが加速していったという。

輿石氏は苦々しい表情を見せた。

「本来であれば、教員の働き方というのは、文科省と日教組が当事者として対等の立場で交渉をして、進めていくというのが大原則だから。しかし自民党の文教部会が入ってきて、そうはさせなかった。『常勤手当とか残業は、教員にはなじまない』と。教員は労働者じゃないんだって。『聖職者だ』という発想が根底にあるわけ」

しかし、当時はそこで議論の紛糾が収まった。

一方で、その後、教員を取り巻く環境は大きく変わっていく。

1970年代から80年代には、校内暴力や非行が多発し、非行防止の観点などから、部活動を奨励。教員も付き添うことになる。
さらに、いじめや不登校、2000年に入るとモンスターペアレントが社会問題化するようになる。
大阪の小学校では、無差別殺傷事件が発生。
学校で起こる様々な問題に、先生は対応を迫られることになっていく。

教員の働き方について研究する連合総研の藤川伸治氏は、「社会からすると、『一体学校は何をやってるんだ』というような学校に対する厳しい批判が起こってきた時代。当然文部科学省も教育委員会も、学校に対して適切な指導をするように強く求めるようになってきた。だんだん学校の中が、ある意味息苦しくなってきた」と解説する。

学校内外の様々な対応に追われ、教員が学校にいる時間は必然的に伸びていった。
さらに、2002年には週5日制がスタート。
週6日分の授業時数を、5日間でやらなければならず、教員の負担はさらに増すことになる。

一度は消えた“毒まんじゅう”の懸念が、時代の変化とともに、現実のものとなっていってしまったのだ。

ではなぜ給特法は、半世紀近くも見直されてこなかったのだろうか。

前出の連合総研・藤川氏は、「給特法を見直さなければならなかったタイミングは、いくつかあると思います。その時に、真剣にこの問題と向き合わなかったってことですね。教育関係者、教育行政関係者、もちろん教職員組合も。もう一つは、日教組の組織の機能が、非常に低下した」と話す。

輿石氏も別の側面で問題を指摘する。

「毎日超勤をしている。ところがそれを予算として教員に支給することになると、地方と国を合わせて、年間9000億、1兆円を超えてしまうと。すると財務省がすぐに反対する、『そんな金がどこにあるんだ』と」

給特法の改正が手付かずのまま、3年前の調査では、多くの先生の残業が過労死ラインと言われる月80時間を超えてしまっていた。
月80時間の残業時間は、給特法が始まった50年前の10倍だ。

給特法は昔のまま、そして教員は聖職という名の呪縛から抜け出せないでいた。

この国の教育はどうなるのだろうか。

2019年、令和元年は、働き方改革元年だ。

未来を担う子どもたちを育てる教員の働き方も、待ったなしで考えなければならない。

明日公開される後編では、この給特法に縛られた想像を絶する教員の働き方と、その働き方に追い詰められ、自ら命を断ってしまった家族の想いを伝える。また、15日深夜放送の『聖職のゆくえ~働き方改革元年~』では、人気ドラマで教員役を演じた菅田将暉さんがナレーションを担当し、この問題に深く切り込む。

(後編:年間5000人の教員が心の病で休職。その裏に改革できない“働き方”